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「世の中には自分と瓜二つの人間がいる」
こんな台詞を聞いたことのある人はいるだろう。
わたし自身としては、自分に似ている人間が三人もいたらたまったものではない。もっとも、単なるそっくりさんなら、「世の中に三人」どころではないはずだ。
問題なのは、自分と寸分たがわぬまったく同じ人間がいたらどうなのか、ということである。同じ人間というより、「もう一人の自分」としたほうがわかりやすいかもしれない。
医学ではもう一人の自分が見えてしまうことを「自己像幻視」という。脳機能の一部が損なわれることによって起こる症状であり、幻覚の一種である。
幻覚ではなく、自分から分離した分身や、自分自身の生き霊、自分になりすました悪魔など、超常現象としての「もう一人の自分」がある。超常現象として現れたもう一人の自分を見てしまった場合、もっぱら、自分は死んでしまうらしい。
こういったもう一人の自分が出現する現象を、幻覚や超常現象を問わず、ドッペルゲンガーと呼んでいる。
前出のM美さんの話である。
これもやはり彼女が高校生のときのことだ。
下校中のバスに乗り合わせた友人に「そういえば、この前、途中の停留所でバスを降りたよね?」とM美さんは尋ねられた。しかしM美さんは身に覚えがない。
「降りていないよ」
M美さんが答えると、友人は首を捻った。
「本当? 声をかけようと思ったんだけど、途中で降りたから……何か用事でもあるのかなあ、って思ったの」
友人のそんな話を聞いたM美さんだが、深くは考えなかった。似ている人などいくらでもいるのだ。
数日後、下校時間になり、M美さんはいつものバスに乗った。後ろのほうの席に座ってバスに揺られていたM美さんは、ふと、気づいた。
中ほどの席に一人の女の子が座っていた。後ろ姿だが、M美さんはその女の子の年格好が自分に似ているような気がした。
――あの子がわたしのそっくりさんに違いない。
だが良く見ると、制服も髪型も髪を縛るゴムの色も、すべてがM美さんと同じではないか。そっくりさんというより、もう一人のM美さんである。
M美さんの背筋に冷たいものが走った。
途中のバス停でその女の子は下車した。出口に向かう後ろ姿をまじまじと見たが、やはりM美さんと同じである。
M美さんが座っている席はバスの左側だ。降りた女の子はバスの後ろ側に歩いてきたため、顔を確認することはできそうである。
しかし、M美さんはそれができなかった。
硬直したまま目を逸らした――目を逸らしたのだが、その女の子がこっちを見ている、そんな気がしてならない。
時間が長かった。このままでは、窓の外に目を向けてしまいそうだ。
体が小刻みに震えていた。
緊張の糸が切れかかったそのとき――。
やっとバスが動き出した。
後日、M美さんは友人に、「その女の子って、顔もわたしとそっくりだった?」と尋ねてみた。しかし友人も、その女の子の顔は見ていなかったという。
その後、M美さんにそっくりな女の子が現れることはなかった。
今となっては真相を確かめるすべはないが、M美さんはそれで良かったのだと実感している。