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わたしの話である。
その当時、わたしは電車で通勤していた。片道だけでも五十分は電車に揺られていなければならなかった。前後の徒歩の時間も含めての往復時間は二時間半だ。
その日は午前中で仕事を切り上げた。どうにも体調が悪かったのである。全身がだるく、頭痛がした。
ビジネスバッグを片手に駅にたどり着いたわたしは、電車に乗る前に妻に連絡を取ろう、と思った。「早く帰るから、風呂を沸かしておいてくれないか」そう伝えようとしたのである。
まだガラケーさえ一般的でない時代だ。わたしは駅前の電話ボックスに入った。
アパートの自宅に電話すると、呼び出しが鳴ってすぐに「はい」と妻が出た。
「あ、おれ。今日は早く帰るから――」
「あんた、さっき来たでしょ!」
こちらが言い切る前に、いきなり罵声を浴びせられた。
「なんだよ、何を怒っているんだよ?」
「いいから、さっさと帰ってきな!」
そして、電話は一方的に切られてしまった。
理不尽である。妻を怒らせるようなことをした覚えはない。
釈然としないまま、わたしは電車に乗った。
一時間近くの電車はつらかったが、通勤時間でないこともあり、幸いにも最初から席に着くことができた。
ふらふらとした足取りでアパートに着くと、妻が玄関で出迎えてくれた。
「さっきのあれは、いったいなんだよ?」
風呂の前に、妻の不機嫌の原因を知りたかった。
私たちは居間で腰を下ろした。
「あたしもちょっと調子が悪くてね、ここでごろんとして寝ていたの」
妻は語り始めた。
昼の十二時を過ぎたばかりだったという。
居間でうつ伏せになっていた妻は、人の気配を感じて目を開け、寝室のほうに顔を向けた。居間と寝室は和室であり、襖で仕切られているが、普段はその襖を開けたままにしていた。
体調が悪いせいなのか、あまりのだるさに首しか動かせず、妻は横になったまま、寝室の畳を見つめていた。
人の足が見えた。灰色のスラックスと白い靴下という組み合わせの一対の足だ。それが、寝室内を行ったり来たりしている。
誰かが勝手に入り込んだ――妻はそう思った。ならば強盗の類いと疑って当然だろう。
だが、そのスラックスと靴下には見覚えがあった。
――うちの旦那?
そう、このわたしの足なのだという。
その一対の足の持ち主は、しばらく寝室内を歩き回ると、いつの間にかいなくなってしまった。
いずれにしろ、幽霊も妖怪も信じない妻が言い張っているのだ。わたしは泥棒に入られたのかと思ったが、ドアと窓のすべてに鍵がかかっていた。
わたしがもうろうとして「早く横になりたい」と思いながら歩いていたちょうどそのとき、妻はごろんとなって夢を見ていたわけである。いい気なものだ。
その当時、わたしは電車で通勤していた。片道だけでも五十分は電車に揺られていなければならなかった。前後の徒歩の時間も含めての往復時間は二時間半だ。
その日は午前中で仕事を切り上げた。どうにも体調が悪かったのである。全身がだるく、頭痛がした。
ビジネスバッグを片手に駅にたどり着いたわたしは、電車に乗る前に妻に連絡を取ろう、と思った。「早く帰るから、風呂を沸かしておいてくれないか」そう伝えようとしたのである。
まだガラケーさえ一般的でない時代だ。わたしは駅前の電話ボックスに入った。
アパートの自宅に電話すると、呼び出しが鳴ってすぐに「はい」と妻が出た。
「あ、おれ。今日は早く帰るから――」
「あんた、さっき来たでしょ!」
こちらが言い切る前に、いきなり罵声を浴びせられた。
「なんだよ、何を怒っているんだよ?」
「いいから、さっさと帰ってきな!」
そして、電話は一方的に切られてしまった。
理不尽である。妻を怒らせるようなことをした覚えはない。
釈然としないまま、わたしは電車に乗った。
一時間近くの電車はつらかったが、通勤時間でないこともあり、幸いにも最初から席に着くことができた。
ふらふらとした足取りでアパートに着くと、妻が玄関で出迎えてくれた。
「さっきのあれは、いったいなんだよ?」
風呂の前に、妻の不機嫌の原因を知りたかった。
私たちは居間で腰を下ろした。
「あたしもちょっと調子が悪くてね、ここでごろんとして寝ていたの」
妻は語り始めた。
昼の十二時を過ぎたばかりだったという。
居間でうつ伏せになっていた妻は、人の気配を感じて目を開け、寝室のほうに顔を向けた。居間と寝室は和室であり、襖で仕切られているが、普段はその襖を開けたままにしていた。
体調が悪いせいなのか、あまりのだるさに首しか動かせず、妻は横になったまま、寝室の畳を見つめていた。
人の足が見えた。灰色のスラックスと白い靴下という組み合わせの一対の足だ。それが、寝室内を行ったり来たりしている。
誰かが勝手に入り込んだ――妻はそう思った。ならば強盗の類いと疑って当然だろう。
だが、そのスラックスと靴下には見覚えがあった。
――うちの旦那?
そう、このわたしの足なのだという。
その一対の足の持ち主は、しばらく寝室内を歩き回ると、いつの間にかいなくなってしまった。
いずれにしろ、幽霊も妖怪も信じない妻が言い張っているのだ。わたしは泥棒に入られたのかと思ったが、ドアと窓のすべてに鍵がかかっていた。
わたしがもうろうとして「早く横になりたい」と思いながら歩いていたちょうどそのとき、妻はごろんとなって夢を見ていたわけである。いい気なものだ。
「でもね、やっぱり夢じゃなかったよ。早く帰りたいと思って歩いていたんでしょ?」
未だに妻は言い張っている。
未だに妻は言い張っている。
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