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その夏、Oさんは仲間とともに某海水浴に出かけた。彼が住んでいるのは茨城県内だが、目的地の海水浴場は茨城県の隣県だった。
夏真っ盛りだった。海水浴場は、老若男女の海水浴客で賑わっていた。
思いっ切り遊泳を楽しんだOさんは、仲間とともに浜辺で休憩することにした。
どれほどの時間が過ぎただろうか……ふと、仲間の一人がカメラを取り出して沖のほうにレンズを向けた。どうやら夏の海をフレームに納めたかったらしい。
周囲が騒然となったのは、その直後だった。
「子供が溺れているぞ!」
近くにいた人の叫び声で、Oさんたちは事態を知り得た。溺れているのは小学生の男子児童だった。しかし、Oさんたちにできることは何もなかった。
結局、その子は助からなかった。Oさんたちは興醒めして帰路に就いた。
後日、仲間の一人がOさんの家に訪れた。海水浴場でカメラを手にしていた友人である。
「ちょっと見てもらいたいんだ」そう言って友人が差し出したのは一枚の写真だった。「あのとき海を撮影したんだけれど、ちょうど、子供が溺れているところが入っちゃってさ」
写真週刊誌にでも投稿すれば採用されるかもしれないが、Oさんとしてはそれを見るのも気が引けた。
「子供が溺れている瞬間の写真なんて、おれ、見たくないよ」
「違うんだよ」友人は救いを求めるかのような表情だった。「変なんだよ、この写真。頼むから見てくれよ」
懇願されたOさんは渋々と写真を受け取り、そして目を見開いた。
「なんだこれ……」
確かに写真の中の少年は、波間でもがいているようだった。しかし、それだけではなかった。長い白髪を振り乱した老婆が、少年の背後の海面に浮かんでいるのだ。しかも、凶器に満ちた形相で、少年を海中に押し入れようとしているのである。
写真を持つOさんの手が震えた。
Oさんと友人は、この写真をどうにか処分できないか、と考えた。だが、恐ろしさのあまり安易な手段は取れない。そこで、写真週刊誌ではなく、当時放送されていた心霊系の番組宛に、その写真を投稿してみた。
何日か経って、テレビ局から一通の封書が友人に届いた。封書には例の写真が入っていた。同封の手紙によると「あまりにも恐ろしい写真なので、うちの番組では使えません」とのことだった。
この話を教えてくれたのは、茨城県妖怪探検隊の仲間であるNさんだ。ところがよく聞いてみると、Nさんは、この話に登場するOさんとの面識はないらしい。
「実はさ、この話をおれに教えてくれたのは、Eさんなんだよ」
彼の言うEさんなら、わたしの知人でもある。
だがさらに雲行きが怪しくなってきた。Nさんによれば、そのEさんも、誰かから聞いたとのことらしい。
「又聞きも又聞きだなあ」
脱力したわたしに、さらなる懸念が浮かんだ。似たような話を聞いたことがあるのだ。
さっそくネットで検索してみたが、出るわ出るわ。「溺れている人を写真に撮ると変なものまで一緒に写るという怪異」と、「やばい写真をテレビ局に送ったら送り返されたという出来事」は別々のケースであることが多いが、似たような話はかなり流布しているのだ。
できればOさんに直接確認したいのだが、Eさんとでさえ現在は付き合いがない、という事情がある。話の出所が突き止めらないわけだ。しかも、真の情報提供者は誰なのか、未だにNさんにもわからないらしい。
こういった又聞きの怪異譚の出所を辿ろうとしても、概ねは失敗に終わる。ことの発端には辿り着けないものなのだ。
たとえばやっとOさんに会うことができたとしても「いやあ、あの話はおれじゃなくて、おれの知り合いが誰かから聞いたものなんだよ」などという答えが返ってくるのが関の山だろう。
もっとも、Oさんという人物が実在していれば、の話であるが……。
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わたしの同期にDさんという男がいる。彼は小学校時代のある日、とんでもないことをわたしに言った。
「道路をものすごいスピードで走るミイラ男を見たんだ」
突然そんなことを言われたら、多くの人は「はあ?」という反応を示すだろう。
だが、その当時のわたしは好奇心旺盛な小学生男子だった。
「ミイラ男って、あのミイラ男? でっかくて強い奴?」
ミイラ男と聞いてイメージしたのは、昔のホラー映画に登場した、前進包帯だらけのあの化け物である。Dさんの何度も頷く様子を見ると、確かにそのミイラ男らしい。
「いつどこで見たの?」
わたしが問うと、Dさんは迷わずにこう答えた。
「昨日の夜遅く、家の前で見たんだ。ミイラ男が、家の前の道路をすごいスピードで走っていったんだよ」
どうやらDさんの自宅前の県道をミイラ男は南下していったらしいのだが、その模様を想像しているうちに、わたしは懐疑の念を抱き始めた。ミイラ男という非現実的な存在が自分たちの生活圏内にいる光景……が、あまりにも稚拙に思えたのだ。
そうなると、Dさんの訴えのすべてが、わたしにとっては虚構である。
「ミイラ男って動きが鈍いよ。それなのに速く走れるの?」
「足は動かさないんだよ」とDさんは即答した。「足を伸ばして座った姿勢で、太股の裏とかすねからタイヤが出ていて、自動車みたいに走っていたんだよ」
まるでSFアニメの変形ロボットである。わたしは返す言葉を見失った。
そのときのやり取りの詳細は忘れてしまったが、わたしが恐怖を抱いていたのは事実である。無論、Dさんの与太話が怖かったのではない。Dさん自身のことが怖かったのだ。
おそらくDさんは、わたしを担ぐつもりで虚言を切り出したのだろう。しかしわたしが疑い始めた辺りから、Dさんはムキになって「本当だって! だって、見たんだもん!」と繰り返していた。
Dさんの中では、自分で作った嘘が真実になっていたのかもしれない。
自分でついた嘘なのに、いつの間にか「真実である」と思い込んでしまう。これを「空想虚言症」という。心霊現象や超常現象の体験談の中には、こういった空想虚言症によるものもあるらしい。すなわち、「見たんだ」と言い切っている本人にいくら「嘘でしょ」と失笑して見せても無駄である、ということだ。何せ、空想虚言症であるならば、その時点ですでにその人は自分の嘘を真実だと思い込んでいるのだから。
では、「本当に幽霊を見たんだ」と訴えている人は、誰もが空想虚言症を煩っているのだろうか? だとすれば、「信じてはいないが体験したことがある」と言っているわたしなどは、見も蓋もないことだが、空想虚言症の可能性が否めないだろう。わたしの妻もしかり、である。まあ、そうでないとは思っているのだが。
もっとも、幻覚や妄想といった症状があるのは事実であり、どうしても原因のわからない不可思議な現象を複数の人間が同時に確認している例もある。それらに鑑みれば、空想虚言症はほんの一部に過ぎないと言えるだろう。
しかし、空想虚言症が厄介であることに違いはない。
Dさんはあのときの発言をどう思っているのだろうか? 訊いたところで「そんなこと言った覚えはないよ」と返されそうだ。
それ以前に、現在、Dさんとは音信不通である。
自分が「これは真実だ」と言い切っていたことが本当に「真実」なのかどうか、疑うのはよしたほうがいいだろう。どこに真実があるのか、わからなくなってしまう……そんな事態に陥ってしまったら、自己崩壊の始まりである。
限界集落に住む前出のTさんの話である。
ある日の夕方、Tさん宅に顔見知りの主婦Bさんが駆け込んできた。
「Tさん! Tさん!」
Bさんは玄関先で声を上げ続けた。
「Bさん、何を慌てているの?」
出迎えたTさんはBさんの取り乱しように困惑した。
「人が……人が首を吊っているのよ!」
Tさんの惚けたような態度に業を煮やしたのか、Bさんは苛立ちをあらわにして訴えた。
BさんはTさん宅よりさらに奥の集落にある自宅に車で帰宅する途中だった。ところが、車同士がどうにかすれ違える程度のその舗装路の真ん中に、一台の車が停まっているではないか。
Bさんは自分の車から降り、道を塞いでいる車に近づいた。車中を覗いてみるが、誰も乗っていない。
ふと、Bさんは視界の隅……上のほうに違和感を覚えた。道端に立っている電柱を見上げると、四肢をだらりと弛緩させた人間がぶら下がっていた。
まことに不甲斐ないのだが、わたしはこの自殺者の性別や年齢を忘れてしまった。
ともかく、Tさんはすぐに警察に通報し、この事件は一応の決着を迎えた。
しかしその当時、自殺や死体遺棄事件が茨城県北地域の山間部で多発していたのである。Tさんの自宅付近でも前記の事件のほかに、自殺や死体遺棄事件が何件かあったのだ。
たとえば……。
Tさん宅から数キロ北上した道端に、一台の車が何日も放置されていた。不審に思った人(集落の住人か営林署の職員)がその車の近辺を調べてみると、一人の若い女性が木の枝にロープをかけて首を吊って死んでいた。
さらにこの集落の近くにあるKダムでは、少なくともTさんが知る限り二台の車が運転手ごと沈むという事件があった。どちらも自殺らしい。
また、集落内の道端で若い男性が車中に排ガスを引き込んで自殺しようとしていた、という事件があった。これは近所の人たちが止めに入り、幸いにも未遂で済んだ。
死体遺棄事件としては、二十年以上前の事件ではあるが、集落を流れる川の下流で人間の手足や胴が発見されるという猟奇的なものがあった。
Tさん宅の近辺だけでも、これらの事件があったのである。県北部全域に範囲を広げれば相当な件数になるだろう。
自殺や死体遺棄はテレビのニュースや新聞の記事で毎日のように見かける。日本全国のどこかで、この瞬間にも悲惨な出来事が起きているかもしれない。何もTさん宅の近辺に限ったことではないだろう。
だが、Tさん宅のある集落を初めとする県北地域――特に山間部では、人口密度が低いにもかかわらず、こういった物騒な事件の起こる頻度が高いのだ。
死体遺棄の犯人や自殺志願者を呼び寄せる何かがいるのだろうか?
東京など首都圏内で殺人を犯した人間が、被害者の死体を処分するために、「車で運んでどこかに捨てよう」と模索した、とする。犯罪者は北に逃走することが多い、とも聞いたことがあるが、ならば死体を遺棄するにも首都圏を離れて北に向かうだろう。
たとえば常磐自動車道で移動したとする。
加平を過ぎた辺りで高層ビルは減ってくるが、車は多い。まだ人の気配に満ちており、この辺では死体を遺棄できない。
三郷を過ぎ、利根川を渡って茨城県に入ると、田畑や山が多くなるが、まだ交通量はそれなりにある。この辺も人目が気になる地域だ。
水戸インターチェンジからは、それまで片側三車線だった車線が二車線へと減少し、交通量も減ってくる。「そろそろいいかな」と考え始める頃だろう。
そして日立南インターチェンジの付近にさしかかると、進行方向に広大な山並みが現れる。「この辺りがいいだろう」と考える頃だ。
結果、日立北インターチェンジ以北で常磐自動車道を降り、山間部を目指す、というわけである。
死体遺棄の犯人だけでなく、自殺志願者も同様だろう。また、首都圏以外、県内や他の地域からもそういった輩が来る、という仮説も成り立つかもしれない。
要するに、県北地域の山間部は死体を遺棄したり自殺するのに都合の良い土地なのである。それだけ人目が少なく、さみしい場所なのだ。
もっとも、最近はこうした物騒な話は耳にしない。それともわたしが知らないだけなのだろうか。
情報を得るべく、大型バイクにまたがり、久しぶりにTさん宅へと向かった。
Tさん宅の前は路肩が駐車場のように広く、わたしはそこへバイクを停めた。ヘルメットを脱いでTさん宅に足を向けるが、何か様子がおかしい。庭が荒れ放題で、人の気配がない。
躊躇していると、一台のバイクがやってきて、わたしのバイクの横で停止した。見れば、わたしのバイク仲間のJくんだった。
「あれ、奇遇ですね」
ヘルメットを脱ぎながらJくんは言った。
「本当だね」わたしはうなずいた。「ところで、ここのおばちゃんは留守みたいだね」
ここは以前、バイク乗りのたまり場だった。そのおかげで、Tさんは多くのバイク乗りと顔見知りだったのである。
「もうここには誰も住んでいませんよ」
Jくんのその言葉に、わたしは唖然とした。
「それ、本当?」
「Tさんには独立したお子さんが何人かいましたよね。そのうちの一人の家族と同居しているんじゃないですかね。こんなところで独り暮らしでは不便で物騒だし、それで良かったんですよ」
向こう側に呼ばれる前にここを出ることができた、とも受け止められるのだろうか。
この集落はいずれ廃村となるだろう。
静まりかえった山里を見渡したわたしは、昔日の残像に手招きをされているような気がした。
茨城県妖怪探検隊の取材で県南の某市U沼に妻と二人で車で赴いたときのことだ。U沼は河童の伝説で知られており、この日の取材も河童伝説をテーマにしたものだった。無論、本物の河童に出会えるとは思っていない。いつもの取材のように、伝説にゆかりのある施設や場所を巡り、その雰囲気を写真や文章に残すのである。
何はさておき、ちょっとした湖ともいえる巨大なU沼の絵がほしかった。北岸はほぼ林に覆われており、南岸から撮影するのが無難のようである。
実は南岸の東の外れに公園があり、そこがとっておきのポイントだった。わたしたちはそこを知らずに、南岸の西側まで行ってしまったのだ。
なんとか湖岸に近づこうと、センターラインのある広い道を外れ、湖岸に平行しているであろう細い道に入った。しかし、背の高いススキが群生しており、湖の「み」の字も見えない。
わたしは車を道端の空き地に停めた。そして妻とともに、おそらく湖岸へと続いているだろう小道へと足を踏み入れた。
ススキの群生地を抜けるその道は、未舗装の小道とはいえ、三メートルほどの幅があった。まず、袋小路ということはないだろう。
期待に胸を躍らせて先頭を歩いていたわたしは、ふと、足を止めた。
地面を黒い何かが覆っている。まるで黒い絨毯だ。
それは道幅いっぱいに広がっていた。つまり、幅は三メートルほどあるわけだ。そして奥行きもやはり三メートルほどある。
「どうしたの?」と尋ねる妻をわたしは制し、その黒い何かの手前まで進んで身を屈めた。
コールタールが固まったもの、のように思えた。それにしてもかなり干からびている。加えて、こぶのような盛り上がりがいくつも見え、あちこちに白い紙が散らばっていた。どうやら、白い紙は使用済みのティッシュらしい。
数秒後、わたしは黒い何かの正体を悟り、後方へ飛び跳ねた。
ぶつかりそうになったわたしを避けつつ、妻が叫ぶ。
「なんなのよ!」
「人糞……人間のうんこだよ!」
妻に負けず劣らず、わたしも叫んだ。
最初の用足しは問題なく気持ちよくできたはずだ。しかし、二人目以降、もしくは二度目以降の用足しは、しゃがむ位置に十分な配慮が必要だったに違いない。大便をするために大便の上に足を載せる人はいない。そうやって繰り返すうちに、人糞の絨毯が広がっていったのだろう。
わたしは人糞の絨毯を見下ろしながら、名優スティーブ・マックイーン主演のSFパニック映画「The Blob(放題は「マックイーンの絶対の危機」テレビ放映時のタイトルは「SF人喰いアメーバの恐怖」)」を思い出していた。スライム状の宇宙生物が人間を補食しながら巨大化していく、という内容である。その怪物が、この黒い汚物のような姿だった。
わたしは思わずつぶやいた。
「まさかこいつが襲ってくることはないだろうけど」
人喰いアメーバも嫌だが、人喰い人糞はもっと嫌だ。
では、いったい誰がこんなところにクソを垂れたのだろうか?
「釣り人だよ、きっと」
妻は言った。その可能性は否めない。
「だとしたら、ほかにもあるかもな」
とこぼしつつ、わたしはげんなりとした。
この程度の規模なら飛び越せるだろうが、万が一にでも失敗すれば、一生の悔いとなる。
車でその場をあとにしたわたしたちは、それから数分後には無事に湖岸の公園を見つけ、広々とした水面を撮影することができた。
あの黒い絨毯は今でも増殖しているのだろうか?
わたしの妻はわたし以上に現実主義である。幽霊もあの世も信じていない。にもかかわらず、不思議な体験をしたことは多いらしい。その数は、わたしの不思議体験よりも多い。
妻が子供の頃の話である。
当時、妻の父親――つまりわたしの義父は、電気工事の職に就いていた。業者の施設や個人の家屋などの電気設備の修繕や新設を施す仕事である。
ある日、近所の寺の住職が亡くなり、その寺で葬儀がおこなわれることになった。葬儀のために提灯などの電気設備が用意されることになり、義父がその工事を請け負った。
当然であるが、工事の際は配線のために寺の施設内を動き回らなければならない。工具や電気コード、電気器具などを手にして行ったり来たりしていた義父は、ふと気づいた。襖の一つの動きが悪いのだ。
仕事は忙しかった。しかし「これでは気の毒だ」と思った義父は、忙しいにもかかわらず、鴨居と敷居に鑞を塗り、襖の動きを滑らかにしてあげた。
工事は無事に終了し、義父は暗くなる頃には帰宅できた。
その夜、家族が寝静まっていると、突然、ばたんばたん、と激しい音がした。子供部屋で寝ていた妻は、二人の姉とともに飛び起きた。
見れば、子供部屋と両親の寝室とを仕切る襖が、独りでに開閉を繰り返しているではないか。
ただでさえ普段からきつく、開け閉めに苦労する襖なのだ。それが勝手に動くはずがない。
開閉を繰り返す襖の向こうでは、両親も目を丸くしてこの現象を見ていた。
異変はものの数秒で鎮まった。すぐに義父が襖のところに立ち、確認をした。しかしそこには誰もおらず、襖もきついままだった。
義父は家族に向かって言った。
「きっと、亡くなった住職が襖のお礼に来たんだよ」
この話を聞いたわたしは、妻に尋ねた。
「義父さんは、寺の襖を直しておいて、どうして自分の家の襖はきついままにしていたんだ?」
「外面がいいだけなんだよね」
妻はあっけらかんとした表情でそう答えた。
「でさ」わたしはさらに尋ねる。「そんなことがあっても、幽霊とか、君は信じないの?」
「だって幽霊の姿を見たわけじゃないもん。きっと、別の何かだったんだよ」
「別の何か、って……」
義父は数年前に他界した。
今のところ、義父が自分の家族に何かを知らせに来た、という兆候は見受けられない。